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Someone in the Crowd Could Take Me to LA LA LAND

※大胆なネタバレ注意。鑑賞後読むのを推奨。

巷で話題の「ラ・ラ・ランド」( http://gaga.ne.jp/lalaland/ ) を観てきた。

大渋滞のハイウェイで、大音量のクラクションと中指で軽蔑を交わし合って始まった、女優の卵とピアノ弾きのロマンスが、言葉なく眼差しの交差だけで、あっけなく幕を閉じる。

大声で泣きながら生まれた赤ん坊が、最期はそっと息を引き取るように、物事の終わりは、案外静かなものなのかもしれない。それが安らかであればあるほど。

終始出来すぎなファンタジー感は否めないが、人生のままならなさが詰まった、たまらなくいじらしい物語だった。

夢を追うすべての人へという謳い文句に、劇中歌の一つである、Someone In The Crowdという曲が一つの答えを提示していたように思う。

「パーティーにいって、(業界関係者)の誰かと知り合いになれれば、あわよくば、女優として、目指す世界に引き上げてもらえるかもしれないから、気合い入れていくぞ!」と若い女優の卵たちが、カラフルなドレスに身を包み、陽気に歌い踊る。ひたすら前向きに他力本願でハッピーなナンバー。

(彼女たちの言うとおり、そうやってチャンスを掴んだ女優も、少なからずいるのだろう。ただ、果たしてそれだけで、彼女らのキャリアはこの先ずっと安泰なのだろうか?という懸念はひとまず置いておいて…)

歌詞の一節に、ヒロイン・ミアの歌振りで、以下のようなパートがある。

Is someone in the crowd the only thing you really see?
Watching while the world keeps spinning ‘round?
Somewhere there’s a place where I find who I’m gonna be
A somewhere that’s just waiting to be found

 

本当にパーティーで業界人のお眼鏡に叶うことが全てなの?

こうしてる間にも世界は目まぐるしく回ってるというのに、ただボーッと眺めてていいの?

どこかに、わたしが将来何になるか見つけられる場所があって

わたしが気づくのを待ってるんじゃない?

 

ミアが必要としていたのは、彼女の手を引き、憧れの世界に直行させてくれる人物ではなかった。

夢を見失わないよう、傷ついた心を奮い立たせ、彼女自身すら気づいていない新しい可能性を見出し、踏み込む背中をそっと押してくれる人物だった。

それは、言うまでもなく、他ならぬセブだったのではないだろうか。

彼女にとってのsomeoneは、パーティーの客の中にはいない。

そのことに、彼女は初めから薄々気づいていた。 だから、パーティーなんて狭い場所ではなく、もっとだだっ広い雑踏の中から、ちゃんと彼を見つけ出すことができた。

もし、ミアがセブに勧められるがまま、舞台の脚本を書いて上演しなかったら、また、大作映画のオーディションの電話を、セブではなくどん底のミア自身が取っていたら…

セブもまた同様であった。

もし、 ミアがバンド活動に気乗りしないセブをその気にさせつつも、不本意だが安定した活動を続けることに疑問を投げかけなかったら…

それが、祝福すべき幸運であり、この物語最大の悲劇でもあるのだが。

悲しいかな、夢への障害を乗り越えられるよう自分を導いてくれる人物と、一生涯苦楽を共にする伴侶は、必ずしも一致しない。  

積み重なるすれ違いの末、ミアのオーディション合格(推定)とセブの所属するバンドツアーによって、二人の距離は、物理的にも精神的にも引き離される。

彼らのすごいところは、互いに自分と一緒にいてほしい旨を一旦は提案し合うものの、それが相手の夢をあきらめさせることを意味し、好ましくないと判断すると、すっとおとなしく引き下がるところ。

あの潔さが、非現実的で、一番美しいおとぎ話に感じられた。

◇ ◇ ◇ ◇

5年の月日が流れ、 女優として成功したミアが、ふらっと入ったジャズバー「セブズ」のステージには、 オーナーのセブが立っている。

彼が奏でる二人の思い出の曲 City of Stars を鍵に繰り広げられる、大団円なアナザーストーリーは、あのとき別の道を選んでいたら、二人の関係はずっと続いていたんじゃないかと思わせる瞬間ばかりが詰め込まれた夢物語。

走馬灯の中の二人は束の間、かつての恋人同士の頃に戻れた。

しかし、それは同時に、共有した時間が、永久に過去の思い出となってしまったことへの弔いのようでもある。

現実通り破局しようと、回想のように関係が現在に至るまで続いていようと、結局、どう転んでも、双方が完全に満足できる幸せにたどり着くのは不可能だということは、明らかだ。

出会うタイミングが違えば、二人は結ばれていた?

わたしは、そうは思えない。

しかし、相手の人生に最大の影響を与え、 たとえ離れ離れになったとしても、その幸せを願えるほど愛を注げる人物に、生涯で一度でも出会うことができる人は、世の中にいったいどれほどいるのだろうか?

最愛の人のおかげで築けた夢の道筋を歩いていけるなんて、 ただ単に自分の夢を叶えられること以上に、天文学的確率だ。

そもそも、思い返せば、二人の出会いと再会そして恋愛同様、彼らの各々の夢の実現も、数々の偶然が重なった末のことで、決して本人の尽力だけではどうにもならなかった。

もし、セブが、ジャズが嫌いなミアを連れ出したバーに、バンドの欠員を探す旧友が訪れていなかったら…

もし、ミアの舞台にプロデューサーが来ていなかったら…

自分の努力や選択だけでは、恋愛も夢もどうにもならないのである。

そんな残酷な現実の中、二人が結ばれないラストが、切なくも美しいのは、きっと彼らが、互いの意思を尊重し、人生を応援し合えたからだと思う。

だから、少なくとも、わたしは、あの結末に、悲恋の口惜しさは感じられず、むしろカタルシスに近い感覚になったのだろう。

しかし、あまりにも綺麗すぎる絵空事に、少しの虚しさを感じたのもの、また事実だ。

夢に浸るには、わたしには処方箋が足りなかったのかもしれない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

p.s. 私の一番のお気に入りのシーンは、ミアとセブが、二人で観に行った映画の中に出てきた天文台に行く場面で、振り子の揺れる吹き抜けの廊下で、二人がダンスするシーンなんだけど、最高じゃないですか、あれ?

無限ループで観ていられる。

それから、プラネタリウムに移動し、満天の星空の下、二人がふわりと浮かび上がって、二人のシルエットだけが、星空の中ずっとダンスをするシーンがあるだけど、こちらは、少々ロマンスがありあまりすぎていて、いくら宇宙フリークのわたしでも、さすがになんだか無性に笑えてきてしまった。ないわー!

このポイントに共感できる人がいたら、わたしはその人と、丘の上のベンチで、夜景をけなしながら、運命的に恋に落ちたい(二番目に好きなシーン)

言うだけなら自由。